遠国無常峠



星城遠国とクローの2人は長い長い峠道をとぼとぼと歩いていた。
延々と続くこの下り坂の先に、2人の待ち望んでいた新しい世界がある。
この峠を越えた先が2人の終着点で、そこにあるものが天国だろうと地獄だろうと、
もう何も後悔はしないと2人は堅く誓い合った。
峠を下り初めてから三ヶ月が経とうとしていた。2人は2人以外に(人間が)誰も居ない時間を永く送ってきた。
山が産み出す自然の糧を頬張りながら、道とも言えぬ山道を、苦悩を、困難を、たった2人で掻き分けてきた。


森の中の小川を渡った先に、突然、人間の手によって築道された粗末な小径があらわれた。
「クロー!ここに人間が住んで居るぞ!」
遠国は嬉しそうに言ったが、クローは無関心だった。
人間がそこにいたとしても、この先の峠を越える2人には関係のないことだ。とまあそんな思いでいた。
クローにとっては、峠を越えるパートナーに必要なのは遠国ただ一人、これまでもそしてこれからも、
この世界に在り続けるのは2人だけの世界だ。
クローは徹底して他人に興味がなかった。
他人によって2人だけの峠の世界が邪魔されることを、この上なく厭わしく思っていた。


遠国はクローの反対を押し切って小径の続く先を歩き続けた。すると、家が数件建ち並ぶ小さな集落が見え始めた。
「こんな場所に、こんなにたくさんの人が住んでいたのか」遠国は興味津々だった。
この土地を知るのはこの土地の人間、ここから先の道のりも何か情報を教えてくれるかもしれない。
遠国は人に会いたがって、集落の中へ足を踏み入れた。クローはというと、厄介事に巻き込まれそうな気がして全く乗り気でなかった。
そして案の定、人に会ったし、厄介事に巻き込まれることになる。


星城遠国は、集落から少し離れた所で山菜取りをしていた男に話しかけた。
「こんにちは」しかし、返事は帰ってこない。
男は怪訝そうな顔で、遠国とクローを見つめていた。
「この峠を越えようとしている者ですが、この峠を降りる一番近い道を知っていますか?」
遠国は多少口下手そうにそう言った。男は黙って、遠国とクローを観察している。
男はずっと素っ頓狂な、何か困ったような顔をしていた。
「おい、お前、日本語通じてないんじゃないか?」
男には、遠国が話している言葉の言語が通じていないようだった。
「困ったな」
「ひきかえそう」
クローは立ち去ろうと後ろを振り返ると、男は何かの言語をすごい勢いでまくし立て、クローはその大声に思わず硬直してしまった。
男はクローの手を掴み、遠国とクローを集落の奥へと引きずり込んだ。


遠国とクローの周囲に、ぞくぞくと人間が集まってくる。最初に出会った男が呼んでいるのだ。
そこは集落の中心部のようだった。遠国とクローは集落の人間に取り囲まれていた。
集落の人間はみな、服装や格好は遠国の生まれ故郷の人間と似たものを着ている。
だが、話している言語は明らかに遠国の知るものではなかった。
皆、遠国とクローのことを、ジロジロと興味深そうに見つめている。
クローにとってはその視線が気持ち悪かったし、こいつら全員ぶち殺してやろうかと考えてた。
そもそも相手に言語が通じない時点で、いかなる交渉の手段もない。遠国はこの人々からこの峠にまつわる情報を聞き出したいと考えていたようだが、彼らと自分達がこれ以上接点を持つメリットは全く無いように思えた。
ここで見せ物にされている2人、クローは自分達がこれからどうなるのか全く予想もつかないので、ひどく憂鬱な気分になっていた。
まあ、いざとなったらマジでこいつらを皆殺しにして(何事も無かったようにして)先へ進もう。そんな風に思っていた。


遠国はというと、自分達を見る彼ら人々の服装や態度、動きをずっと注視した。彼らの様子から、彼らがどんな人物なのか、少しでも多くの情報を探り出そうとしていた。
彼らはみな、いかにも貧しそうな、薄汚いボロ衣をまとっていた。生活に困窮しているのだろうか。
少しでも油断すると、遠国達2人の身ぐるみを全部はがしに襲いかかってきそうな、そんな飢えた目つきをしていた。
彼らの前に立つ遠国とクローは、飢えた狂犬の前に放り投げられた霜降り肉のようなものだ。しかし一つ気になるところがあった。
一人の少女の肩に、小さな緑色の芋虫が乗っかっている。しかし少女はそれを振り払う素振りも見せず、それどころか大事そうに青虫の頭を撫でる仕草をみせていた。
それで改めて2人に群がる人々の様子をみると、同じようにして身体に青虫を纏わせている人を何人か見つけることができた。
この集落に伝わる特異な風習だろうか。
この集落の人々は、自分の着ているものよりも青虫を飼育することの方が大切なようだ。




やがて、集落の中で最も豪勢な館に住む、恰幅のよい、金ぴかの衣装を纏った男性が、館から遠国達の下へ歩み寄ってきた。
集落の人々は、男をみると皆後ずさりして頭を下げ、男の歩く先をよけて道をつくった。
「旅のお方、どうも、ようこそ、常世村へ」
金ぴかの衣装の男性は、つたない口調ながらも遠国の知る言語で2人に話しかけてきた。
「私の名前はZigeunerweisen」
私の名前は……のあと、何言ってるかよく聞き取れなかったが、自己紹介をしてくれたようだった。
「僕は星城遠国っていいます。こっちはクローと言います」
Zigeunerweisenは深々とおじきをした。この集落の中で、この男だけが豪華な衣装に身を纏い、いかにも裕福そうな容貌をしている。成金趣味だ。
「この集落は何なんですか?どうしてみな、青虫をつけているんです?」
「常世神様は幸せの象徴」
「常世神様?この青虫のことですか?」
「青虫などではございません。この村の者が育てているのは、幸福を呼び込む神様、常世神様です」




Zigeunerweisenは続けた。まだこの村が今よりも貧しかった頃、この村に「常世神様」を持ち込んだのは彼であったという。


青虫の姿をした「常世神様」は人々に富と長寿を授け、人々の罪科を背負って自らその身を犠牲にする。
だから、村の人々は「常世神様」に福を求め、こぞってこの青虫を育てることにした。
自らがそれまで持っていた財産を投げ捨て、食物を「常世神様」に捧げた。
「常世神様」はすくすくと育ち、やがて蛹になり、美しい蝶へと変態する。
その時、人々の持つ罪科を浄化し、人々に富を与え、長寿と幸運を授けるという。
そして、「常世神様」は新たな「常世神様」を産み、人々はまた新たな「常世神様」を育む。
それによって、この村の幸が保たれているらしい。


遠国とクローは話を聞いていたが、あまり共感は得られなかった。どうも、胡散臭く思えてしまったのだ。
先ほどの人々の様子をみた限りでは、どうもこの集落全体が裕福になっているようにはとても見えない。
「あの、人々の幸福そうな姿をみてください。あれは、常世神様へ捧げる舞を、人々が歌い踊っている様子です」
「本当に、この常世神様を育てて、富が授かるんですか?」
「はい。それにはまず、自らが持つ富を常世神様に捧げる必要があります。常世神様に富を捧げることによって、さらに豊かで高価な恵みがかえってくるのです」
「はあ」
遠国とクローは怪しんでいた。常世神をこの村に持ち込んだのは目の前にいるZigeunerweisenという男。


常世神に捧げる富の奉納儀式も、全部この男が執り仕切っているという話だった。
常世神が羽化し、家から飛び立った次の日の朝、家の前に綺麗な服や財産が置かれているのを見て、人々は「新しい福がきたぞ!」と叫ぶという。
そして、常世神によってもたらされた富は、また新たな常世神を育むため、新たな常世神の下に捧げるのだとか。


恐らく、集落の人々が常世神に捧げた富は、このZigeunerweisenという男のもとに集められ、常世神の羽化と共に男が集落の富を再分配させてやっているのだろう。
そして、富は永遠にZigeunerweisenのもとで循環する。人々は見えない幸福を信じて、この奇妙な芋虫を崇め祀っているのだ。


遠国とクローにとって、この集落の風習はひどく馬鹿馬鹿しい、下らないことのように思えた。
この集落の人々がその生活で満足しているのなら、それはそれで構わない。
しかし2人からみたこの集落の風習は、発展性も生産性も何も見いだせない、停滞した時間を送り続けることの象徴のように思えたのだ。
この集落にこれ以上の長居は無用だ。そう思って、2人は村を出て行くことにした。


「ありがとうございました。僕たちは先を急いでいるので、これで」
「待って下さい。あなた達も、幸福と富と長寿を約束するこの常世神様を祀ってみませんか?」
男は芋虫を両手一杯に抱え、2人に差し出す。
「いや、いいです」
「常世神様は永遠の富を約束します。この村で2人、幸せに満ちた生活を」
「先を急いでいますので」
「この先に何が待っていると言うんです?この村で暮らしましょう、そしたらそんな心配をする必要はありませんよ」
「村から出してください」
「あなたがたにも、常世神様の幸福を」
「いらねーつってんだろ!!!!!!」


突然、クローが、両手からかぎ爪を出し、男の抱えていた常世神を一匹残らずバラバラに引き裂いてしまった。
男は青ざめて、呆然と立っている。ぐしゃぐしゃになった芋虫が、男の両手を真緑に染めた。
大声を聞いた集落の人々もクローとZigeunerweisenを見ている。Zigeunerweisenの真緑になった両手と常世神たちの死骸をみて、人々もまた言葉を失った。
「やばい、はやく逃げよう」
遠国は急いでクローを抱きかかえ、一目散に集落を抜け出した。
クローが芋虫をバラバラに引きちぎり、遠国達が集落を駆け抜けるその間、集落は水を打ったような静けさだった。
時間が止まっているようだった。



あの集落を、もう思い返すことはない。多分今も、芋虫を奉り、芋虫に富を捧げているのだろう。
遠国とクローは集落を抜け出したその日の夜、疲れて飯を食う元気もなくなってしまったが、次の日の朝には腹も減ったので、その辺にいる芋虫を取って煮て焼いて喰うことにした。



-終-


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